人との会話でカロリーを消費して疲れてしまう
先日、phaさんの著書『がんばらない練習』を読んで、すごく共感した部分があった。
なんでみんな会話なんていうよくわからないゲームが自然にできるんだろう。~中略~ 僕は人に対して喋りたいことなんてほとんどないんだけど。
出典:pha/著『がんばらない練習』(幻冬舎)より
なぜかというと、むちゃくちゃ疲れるからだ。
特に知らない人との世間話は、会話する内容を考えるのが大変で、話始めても相手の話を受けてから返答するやりとりが凄い疲れる。
これは自分だけなのだろうか?
そんな会話嫌いな僕が遭遇した、疲れる会話のシチュエーションを紹介します。
仕事での何気ない世間話が疲れる
今はフリーランスだけど、会社で働いていると無条件に会話する必要があるので、自分の仕事だけに集中するのは難しい。
会話の相手はクライアントの営業マンだったり、コピー機の営業マンだったりする。
会話の内容は仕事のことなので事務的に対応すればいいので楽だが、会話が世間話にシフトするととたんに面倒くさくなる。
何気ない会話ほど難しく、会話の消費カロリーも高い気がする。
世間の人は何気ない世間話をなぜあんなに上手くこなせているのか不思議だ。
飲み会での会話が疲れる
仕事関連の飲み会や忘年会での会話もかなり疲れる。
特に、普段関りの少ない人と隣になったりすると会話どころではない。
相手がおしゃべりで聞いているだけなら適当に相づちを打っていればいいが、自分から気を遣って話さなければならない相手だと大きくカロリーを消費する。
飲み会といっても仕事の延長なので、まったく無言というわけにもいかず、脳をフル回転させて会話するので終わった後はへとへとになる。
会社員時代の飲み会は疲れた記憶しかない。
冠婚葬祭での親戚との会話が疲れる
結婚式や葬式に出席すると親戚に近状を話すのが本当に疲れるし面倒くさい。
会話の内容は「いつ結婚するのか」や「今何をしているのか」など他愛ないことだが、とにかく疲れる。
冠婚葬祭は一定時間、強制的に同じ空間に閉じ込められるので逃げようがなく、そこでつまらない会話を延々することになるので、会話嫌いとっては地獄のような空間だ。
これらの場で難なく会話をこなせる人は尊敬に値する。
学生時代の会話が疲れた
振り返ると、学生時代の会話ほど疲れるものはなかった。
同じ空間で強制的に会話するという意味では冠婚葬祭と似ているが、違いは学生時代の場合はその期間が長いことだ。
会話が異常に疲れると思ったのは小学校からだったと思う。
趣味も合わない不特定多数の人間が強制的に同じ空間に閉じ込められても会話などできない。
特に苦行だと思ったのが、遠足に行くときのバスの中だ。
あまり仲の良くない人と隣同士になっても当然話題などなく、会話したとしても当たり障りのない会話で終始する。
【まとめ】無駄な会話をしなくていいフリーランスは最高
嫌いな会話のシチュエーションをまとめてみたが、書いている途中で疲れてきた。
しかし今のフリーランスは会話嫌いには最高の働き方だと思う。
世の中には、人間関係が少なく会話しなくても成立する仕事がたくさんあるので、会話嫌いな人は調べてみるのもいいかもしれない。
仕事の依頼や納品はメールで済むし、仕事に関連した飲み会もない。
何と言っても世間話など無駄で疲れる会話が無いのが最高だ。
会話しないとさみしくなるという人もいるが、自分の場合は人との会話の疲労に比べれば一人で過ごす時間の気楽さの方が勝る。
この体質ゆえ会社員に戻ることはないと思う。